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メリケン波止場

昔のメリケン波止場
現在のメリケンパーク
昔の写真絵葉書『神戸港メリケン波止場』「推定昭和初期」
写真撮影「2011年2月1日」
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絵葉書は当時の神戸を代表する建築物を写しているのが解ります。真ん中に現在の「商船三井ビル」その左隣が現在の「海岸ビル」そして右隣には当時の「オリエンタルホテル」(第二次大戦後に現在地へ移転)が写っています。
英語表記を見ていただければ解りますが「メリケン波止場」の語源は「AMERICAN WHARF」すなわち「アメリケン」のメリケンです。よって第二次大戦時には敵国ということで「万国波止場」と名を変えていたそうです。
現在のメリケン波止場は埋め立てが進みメリケンパークとして公園広場となっていますが、ご覧の通りメリケン波止場だったあたりは阪神淡路大震災の記憶を残すためにあえて震災で崩壊した形を保存しております。
しかし昔の写真と比較すると建物が増え、高速道路やバイパス道路が建てられ、あまり同じ場所という雰囲気が感じられません。そこで同じだと確認できる場所を拡大してみました。

昔の海岸ビル
現在の海岸ビル
「海岸ビル」左上の窓だけ見えます。この建物も阪神淡路大震災で被災しましたが、一度解体した後に再び復元されました。

昔の六甲山系
現在の六甲山系
「六甲山系」右上にかすかに見える山の形が同じです。

昔の海岸ビル
「海岸ビル」大正7年竣工。1995年阪神淡路大震災で損壊後、外壁を保存の上で再建。
昔の商船三井ビル
「商船三井ビルディング」大正11年竣工。
現在の海岸通
これらの建物は現在も元居留地海岸通に建っています。

昭和2年発行神戸市街全図より


Google mapsより

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